2018/01/23

#0083 1976年1月11日 ビル・エヴァンス

菅野沖彦氏が司会進行を務める FM東京の番組「デンオン・ライブ・コンサート」は1973年にスタートした 広いジャンルの音楽家をスタジオに招いて 生演奏・生放送される毎週日曜日の1時間番組。1976年 新年明けての初ゲストが ビル・エヴァンスだった。

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ジャズを撮り始めてまだ2ヵ月半 撮影フィルム数100本に満たない新米カメラマンにとって ビッグ過ぎる被写体の撮影指令がこの年の初仕事になった。

超ビッグ・ネームと知ってはいたけど ジャズ初心者の僕はまだ その”超”がどれ程の”超”なのか分かっておらず 身の程知らずにも 実に簡単な挨拶と握手を交わしてから サウンド・チェックするビル・エヴァンスのピアノの下に寝っ転がったのだった。

背を丸めて顔を伏せて演奏するスタイルのビル・エヴァンスを その表情をローアングルで撮りたいが為の撮影姿勢だったんだけど・・・唐突で無礼な僕の行為を”超”ビッグ・ビル・エヴァンスも その場を仕切っている菅野沖彦氏もが笑って許してくれたおかげで 新米カメラマンがこの時撮った入魂の1枚が その後も今も僕のビル・エヴァンスのベスト・ショットになった。

後日記)この時撮影した3本のフィルムを いつか気付かないまま紛失していて つい最近になって内1本だけが発見された。当時 写真は用途によって必要なサイズにプリントして入稿するのが常だったが 時間的か何らかの理由で原板を貸し出して 返却された時に所定のファイルに戻さなかったことが原因と思われる・・・見つからない他の2本は ひょっとしてまだ返却されてないかも知れない。

当時 出版社かレコード会社・印刷所にお勤めだったひと どなたか心当たりがあればぜひお知らせいただきたい。(べた焼きだけは手許にあるから 勝手に使ったらバレるよ!)よろしくお願いいたします。

と言う訳で 右写真が僕のビル・エヴァンスの代表作 フィルムが戻って初めてスキャンできた左写真はここに本邦初公開:番組終了後 陽も傾いた新宿の街角に佇む”超”ビッグ・ネーム:ビル・エヴァンス

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2018/01/22

『コルトレーンを追いかけて』 @おうちシアター

ジョン・コルトレーンの伝記映画(CHASING TRANE)のことは 藤岡の旦那やら音楽関係者から聞いてたんだけど 本邦では劇場未公開でソフト化もされていない

180122 日本公開はいつ?いつ?と思っていたところ・・・先日 映画好きの近藤和彦(as)から「ネットで観れるよ」とあっさり教えられた

・・・さっそくオンライン・ストリーミング配信「Netflix」に登録・・・

ラインナップを見てみると「セッション」や「リー・モーガン」など割と最近作から「パコ」や「ペト」などちょっと前の作品 観そびれたり もぉ一度観たい何度でも観たいものもたくさんあるじゃないの!

劇場で観るように 大画面・高音質・大音量という訳にはいかないけど・・・しばらくは飲みながらの おうちシアター♫

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2018/01/18

新春写真ショー2018

マスターがあなたの“アー写”撮ります『新春写真ショー』 新春早々の企画に 今回も錚々たるミュージシャン達にエントリーいただいて 嬉しくて 涙そうそう・・・

Img_6067_2 Img_6057r_2 Img_6207  金澤英明
昨年末に 入手した新しいレンズ “CANON EF85mm f/1.4L IS USM”での初仕事 F1.4の大口径でボケ味が素晴らしい・・・手ぶれ補正機構が付いて 感度を押さえられるから階調も滑らかだ 自慢の髭の1本一本シャープに描写された。

Img_6233 Img_7785r nao
新レンズの解像力は素晴らしいが 女性を撮るときは要注意・・・クリアにシャープに写り過ぎだと クレームをいただくことになる・・・すみません 画像処理しておきました ^o^;

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水橋(ゴン)孝
ベースを下から煽って このアングルから撮るには 85mmでは長すぎる・・・ブリッジや‘f’ホールまで入れたいから レンズは 50mm f値で感度を稼げるから ISOは100にした。

Img_6537 Img_6561 Img_6583 大友義雄
最近のデジカメは どうつもこいつも高感度を競っている傾向があって・・・もちろん夜間や低照度の室内で 特にライブの撮影には好都合なんだけど・・・こんなポートレイトでは とにかく絞りを開けたい訳だから もっと低感度に設定できるようにしてくれんか!? 昔むかし“コダクローム25”という素晴らしく低感度のフィルムがありました

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岸田恵士
これは 人物(顔)をシャープに写して スティックを持つ手だけをブラしたいから シャッター速度にちょと苦労したぞ・・・ストロボを使えば簡単だけど 背景(後ろのドラム)はボカシたいから 絞りは要らない・・・こんな時も低感度設定が欲しくなる!? 昔むかし“オルソ25”という素晴らしく高画質のフィルムがありました

と言うわけで・・・新春写真ショーに参加いただいた皆さま ありがとうございました
次回はお盆のヒマな時期(8月)に「盆フォト・セッション」と銘打って 内山 繁のアー写 撮影企画を開催します マスターに撮られたいひと お申し込みお待ちしています ありがとうございました。

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2018/01/05

#0071 1975年12月31日 オールナイト・ジャズ

この頃は日本のジャズがとても元気で 大晦日は各所で年越しカウントダウン・ライブが盛況・・・新宿ではふたつの映画館を会場にしてオールナイト・ジャズ・フェス ’75〜’76

19751231_0071g1s 映画館だけにスクリーン前のスペースは狭く ドラムとピアノで精一杯 フロントはせり出した板に乗ってる危なっかしいステージはロマン劇場の坂田明(as,ss) 稲葉国光(b) 森山威男(ds)

新宿ロマン劇場は坂田3のほか 山下洋輔3・向井滋春5
新宿ミラノ座は:渡辺貞夫4・日野元彦4・峰厚介4他の出演だった

ジャズを撮り始めた年から 毎年大晦日はオールナイト・ジャズで 「紅白」を観ない年末が続いた・・・僕のテレビ嫌い(興味ない)はこれが発端だったのかも知れない・・・昨年末も観てないけど 特に生活に支障なく人並みに年を越せました・・・明けましておめでとうございます!

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#0065 1975年12月25日 向井滋春 高橋知己 向かい風 @PIT INN

今でも旧名称の「写大」で通用する現・東京工芸大学は 日芸の写真科と並んで多くの著名な写真家を輩出している

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高橋知己と僕は この写大の先輩後輩にあたると何度かブログに書いたのだけど・・・Jazz & Café "Whisper”に 僕と同期のお客さまが来店されて 見せられた卒業生名簿に 何と!知己の写真と名前があるじゃないの!

在学中は学内で時々サックスの音を聞く程度 卒業後もしばらく交友関係はなかったんだけど・・・僕がジャズの写真を撮るようになってこうして再会することになろうとは・・・嬉しい限り

知己は写大在学中(1970年)すでに守新治(ds) 米木康志(b) 寺下誠(p) と新宿PIT INNで初ステージを踏み 古沢良治郎(ds) などと活動を続け この頃 向井滋春のバンド「向かい風」に参加して活躍の場を広げていた

知己は昭和25年8月12日生まれ 僕は昭和26年生まれだから てっきり先輩だと思い込み 会うたびに先輩先輩!と呼んでたから これからもトモキ先輩と呼ばせてもらおう・・・ジャズ界では立派なセンパイだからね

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2017/12/27

#0059 1975年12月17日 中村誠一 黄金虫

第1期山下洋輔トリオを脱退して 1978年に渡米するまでの時期に 中村はこんなグループでも活動した

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黄金虫:板橋文夫(p) 今村祐司(perc) 成重幸紀(b) 中村誠一(ts,ss) 楠本卓司(ds) @PIT INN

幼少時は映画俳優を目指していたが 気がついたらジャズ・ミュージシャンになっていた ’67年に山下洋輔トリオの一員となりプロ活動を開始〜以降4年間にわたって山下トリオで活躍 エキサイティングなプレイは狂信的なファンを生んだ

’72年 トリオを脱退後 小原哲次郎(ds)と組んで 駄洒落と落語の要素をジャズに取り入れたグループ:ゲス・マイ・ファインズを結成 その時を機にフリーからオーソドックスなスタイルへと転向して 同グループや自己のトリオで 味わい深いテナー奏者として活動 この頃(1975年)オウゴンチュウを結成した。

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2017/12/08

#0057 1975年12月17日 森山浩二

1975年12月11日 森山浩二 山本3 TBM REC
ヴォーカリストでパーカッショニスト:森山浩二の記念すべき初リーダーアルバムの録音に付き合った
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1970年代 ジャズ・ライブは活況だったけど なかなかレコーディングの機会に恵まれなかったミュージシャンを起用して 日本のジャズ・シーンに良質のレコードを送り出したのが “TBM”の略称で呼ばれた「スリー・ブラインド・マイス」だった

TBMのレコードは高音質で 愛好家の間で高価格で取引されるほど人気があり 多くの作品がCD化されて再発売されたが この時の録音:森山浩二「Night And Day」もその1枚 サポートは 山本剛(p) 井野信義(b) 小原哲次郎(ds) メンバーの後ろに写っているのは TBM社長:藤井武氏 @アオイスタジオ

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#0056 1975年12月17日 藤岡琢也

藤岡琢也プロデュース
ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で「おかくら」の主人 日本の父親像を演じた藤岡さんは トロンボーンをはじめいろんな楽器を演奏し 収集したレコードも数え切れないほど 自らコンサートを開くほどのジャズ愛好家でもあった

このレコーディングは 岡倉大吉・・・じゃなくて藤岡琢也プロデュースでメンバーはこの日 青山ビクタースタジオに集められた(この時点1975年には まだ「渡鬼」は始まっていなかった)
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左から 中村誠一(ts) 松本英彦(ts) 中山正治(ds) 原田政長(b) 八代一夫(p) 右端が まだ岡倉大吉になる前の藤岡琢也

藤岡氏は2006年 都内の病院で亡くなったが 葬儀の式場にはピアノが置かれて 生前から氏と長く深い親交のあったピアニスト:岸ミツアキが奏でる調べの中を多くの弔問者が最後のお別れをした

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#0054 1975年12月15日 石川昌

石川昌 カウント・バッファロー REC
子供向けのTV番組で 子ども達と笑顔で遊ぶ 長身で色黒の“石川のおじさん”の記憶がかすかにある

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松本伸や宮沢昭のグループに参加した後 宮間利之とニューハードのドラマーとして 後に自らのバンド:カウント・バッファローを率いて活躍

アフリカに造詣が深く 後年には一家でケニアに移住して 2002年に現地で亡くなった

写真は 翌年(1976年)リリースされるアルバム「エマージェンシー」レコーディングのために 東芝スタジオに集合したカウント・バッファローのメンバー(皆んな若いねぇ・・・どれが誰だか分かる?)

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2017/12/07

#0051 1975年12月9日 原信夫と ♯&♭

1975年12月9日 原信夫 ♯&♭ オリバー・ネルソン追悼コンサート
芸術祭優秀賞(1983年) 紫綬褒章(1988年) 勲四等旭日小綬章(1998年) 第38回日本レコード大賞功労賞(1996年)・・・1950年に参加したバンドを 後に改名したシャープス&フラッツを率いて音楽界に多大な貢献をし数々の栄光を得た原信夫氏

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1963年からNHK紅白歌合戦の伴奏を長きにわたって担当した他 多くの有名ミュージシャンとの共演 江利チエミ 美空ひばりとも共演やレコーディングを残している

この写真は信夫氏49歳 同年(1975年10月)亡くなった作編曲家でサックス奏者 ♯&♭のために編曲を多く提供した オリバー・ネルソンを偲んでの VAN 99HALL で行われたコンサートだった 

半世紀以上も第一線で活躍した 原信夫とシャープス&フラッツは 原氏の高齢を理由に 2010年のコンサートを最後に音楽活動に終止符を打ったが 我がJazz & Cafe Whisper にもたびたび出演いただくご子息 ギターリスト原とも也によると 91歳の今も元気でおられるとの事 何よりです

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