2018/01/18

新春写真ショー2018

マスターがあなたの“アー写”撮ります『新春写真ショー』 新春早々の企画に 今回も錚々たるミュージシャン達にエントリーいただいて 嬉しくて 涙そうそう・・・

Img_6067_2 Img_6057r_2 Img_6207  金澤英明
昨年末に 入手した新しいレンズ “CANON EF85mm f/1.4L IS USM”での初仕事 F1.4の大口径でボケ味が素晴らしい・・・手ぶれ補正機構が付いて 感度を押さえられるから階調も滑らかだ 自慢の髭の1本一本シャープに描写された。

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新レンズの解像力は素晴らしいが 女性を撮るときは要注意・・・クリアにシャープに写り過ぎだと クレームをいただくことになる・・・すみません 画像処理しておきました ^o^;

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水橋(ゴン)孝
ベースを下から煽って このアングルから撮るには 85mmでは長すぎる・・・ブリッジや‘f’ホールまで入れたいから レンズは 50mm f値で感度を稼げるから ISOは100にした。

Img_6537 Img_6561 Img_6583 大友義雄
最近のデジカメは どうつもこいつも高感度を競っている傾向があって・・・もちろん夜間や低照度の室内で 特にライブの撮影には好都合なんだけど・・・こんなポートレイトでは とにかく絞りを開けたい訳だから もっと低感度に設定できるようにしてくれんか!? 昔むかし“コダクローム25”という素晴らしく低感度のフィルムがありました

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岸田恵士
これは 人物(顔)をシャープに写して スティックを持つ手だけをブラしたいから シャッター速度にちょと苦労したぞ・・・ストロボを使えば簡単だけど 背景(後ろのドラム)はボカシたいから 絞りは要らない・・・こんな時も低感度設定が欲しくなる!? 昔むかし“オルソ25”という素晴らしく高画質のフィルムがありました

と言うわけで・・・新春写真ショーに参加いただいた皆さま ありがとうございました
次回はお盆のヒマな時期(8月)に「盆フォト・セッション」と銘打って 内山 繁のアー写 撮影企画を開催します マスターに撮られたいひと お申し込みお待ちしています ありがとうございました。

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2018/01/05

#0071 1975年12月31日 オールナイト・ジャズ

この頃は日本のジャズがとても元気で 大晦日は各所で年越しカウントダウン・ライブが盛況・・・新宿ではふたつの映画館を会場にしてオールナイト・ジャズ・フェス ’75〜’76

19751231_0071g1s 映画館だけにスクリーン前のスペースは狭く ドラムとピアノで精一杯 フロントはせり出した板に乗ってる危なっかしいステージはロマン劇場の坂田明(as,ss) 稲葉国光(b) 森山威男(ds)

新宿ロマン劇場は坂田3のほか 山下洋輔3・向井滋春5
新宿ミラノ座は:渡辺貞夫4・日野元彦4・峰厚介4他の出演だった

ジャズを撮り始めた年から 毎年大晦日はオールナイト・ジャズで 「紅白」を観ない年末が続いた・・・僕のテレビ嫌い(興味ない)はこれが発端だったのかも知れない・・・昨年末も観てないけど 特に生活に支障なく人並みに年を越せました・・・明けましておめでとうございます!

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#0065 1975年12月25日 向井滋春 高橋知己 向かい風 @PIT INN

今でも旧名称の「写大」で通用する現・東京工芸大学は 日芸の写真科と並んで多くの著名な写真家を輩出している

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高橋知己と僕は この写大の先輩後輩にあたると何度かブログに書いたのだけど・・・Jazz & Café "Whisper”に 僕と同期のお客さまが来店されて 見せられた卒業生名簿に 何と!知己の写真と名前があるじゃないの!

在学中は学内で時々サックスの音を聞く程度 卒業後もしばらく交友関係はなかったんだけど・・・僕がジャズの写真を撮るようになってこうして再会することになろうとは・・・嬉しい限り

知己は写大在学中(1970年)すでに守新治(ds) 米木康志(b) 寺下誠(p) と新宿PIT INNで初ステージを踏み 古沢良治郎(ds) などと活動を続け この頃 向井滋春のバンド「向かい風」に参加して活躍の場を広げていた

知己は昭和25年8月12日生まれ 僕は昭和26年生まれだから てっきり先輩だと思い込み 会うたびに先輩先輩!と呼んでたから これからもトモキ先輩と呼ばせてもらおう・・・ジャズ界では立派なセンパイだからね

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2017/12/27

#0059 1975年12月17日 中村誠一 黄金虫

第1期山下洋輔トリオを脱退して 1978年に渡米するまでの時期に 中村はこんなグループでも活動した

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黄金虫:板橋文夫(p) 今村祐司(perc) 成重幸紀(b) 中村誠一(ts,ss) 楠本卓司(ds) @PIT INN

幼少時は映画俳優を目指していたが 気がついたらジャズ・ミュージシャンになっていた ’67年に山下洋輔トリオの一員となりプロ活動を開始〜以降4年間にわたって山下トリオで活躍 エキサイティングなプレイは狂信的なファンを生んだ

’72年 トリオを脱退後 小原哲次郎(ds)と組んで 駄洒落と落語の要素をジャズに取り入れたグループ:ゲス・マイ・ファインズを結成 その時を機にフリーからオーソドックスなスタイルへと転向して 同グループや自己のトリオで 味わい深いテナー奏者として活動 この頃(1975年)オウゴンチュウを結成した。

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2017/12/08

#0057 1975年12月17日 森山浩二

1975年12月11日 森山浩二 山本3 TBM REC
ヴォーカリストでパーカッショニスト:森山浩二の記念すべき初リーダーアルバムの録音に付き合った
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1970年代 ジャズ・ライブは活況だったけど なかなかレコーディングの機会に恵まれなかったミュージシャンを起用して 日本のジャズ・シーンに良質のレコードを送り出したのが “TBM”の略称で呼ばれた「スリー・ブラインド・マイス」だった

TBMのレコードは高音質で 愛好家の間で高価格で取引されるほど人気があり 多くの作品がCD化されて再発売されたが この時の録音:森山浩二「Night And Day」もその1枚 サポートは 山本剛(p) 井野信義(b) 小原哲次郎(ds) メンバーの後ろに写っているのは TBM社長:藤井武氏 @アオイスタジオ

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#0056 1975年12月17日 藤岡琢也

藤岡琢也プロデュース
ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で「おかくら」の主人 日本の父親像を演じた藤岡さんは トロンボーンをはじめいろんな楽器を演奏し 収集したレコードも数え切れないほど 自らコンサートを開くほどのジャズ愛好家でもあった

このレコーディングは 岡倉大吉・・・じゃなくて藤岡琢也プロデュースでメンバーはこの日 青山ビクタースタジオに集められた(この時点1975年には まだ「渡鬼」は始まっていなかった)
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左から 中村誠一(ts) 松本英彦(ts) 中山正治(ds) 原田政長(b) 八代一夫(p) 右端が まだ岡倉大吉になる前の藤岡琢也

藤岡氏は2006年 都内の病院で亡くなったが 葬儀の式場にはピアノが置かれて 生前から氏と長く深い親交のあったピアニスト:岸ミツアキが奏でる調べの中を多くの弔問者が最後のお別れをした

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#0054 1975年12月15日 石川昌

石川昌 カウント・バッファロー REC
子供向けのTV番組で 子ども達と笑顔で遊ぶ 長身で色黒の“石川のおじさん”の記憶がかすかにある

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松本伸や宮沢昭のグループに参加した後 宮間利之とニューハードのドラマーとして 後に自らのバンド:カウント・バッファローを率いて活躍

アフリカに造詣が深く 後年には一家でケニアに移住して 2002年に現地で亡くなった

写真は 翌年(1976年)リリースされるアルバム「エマージェンシー」レコーディングのために 東芝スタジオに集合したカウント・バッファローのメンバー(皆んな若いねぇ・・・どれが誰だか分かる?)

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2017/12/07

#0051 1975年12月9日 原信夫と ♯&♭

1975年12月9日 原信夫 ♯&♭ オリバー・ネルソン追悼コンサート
芸術祭優秀賞(1983年) 紫綬褒章(1988年) 勲四等旭日小綬章(1998年) 第38回日本レコード大賞功労賞(1996年)・・・1950年に参加したバンドを 後に改名したシャープス&フラッツを率いて音楽界に多大な貢献をし数々の栄光を得た原信夫氏

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1963年からNHK紅白歌合戦の伴奏を長きにわたって担当した他 多くの有名ミュージシャンとの共演 江利チエミ 美空ひばりとも共演やレコーディングを残している

この写真は信夫氏49歳 同年(1975年10月)亡くなった作編曲家でサックス奏者 ♯&♭のために編曲を多く提供した オリバー・ネルソンを偲んでの VAN 99HALL で行われたコンサートだった 

半世紀以上も第一線で活躍した 原信夫とシャープス&フラッツは 原氏の高齢を理由に 2010年のコンサートを最後に音楽活動に終止符を打ったが 我がJazz & Cafe Whisper にもたびたび出演いただくご子息 ギターリスト原とも也によると 91歳の今も元気でおられるとの事 何よりです

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#0050 1975年12月4日 富樫雅彦

富樫雅彦 風の遺した物語
結婚情報誌「結婚ピア」の依頼で 千鳥ヶ淵の結婚式場を訪ねた

19751204_0050d3 皇居に近いことから「ザ ハウス パレスサイド」と言う名の洒落た洋館一軒家の式場には ブライダル・プロデュースの事務所があって そこに冨樫光明と言う男がいた

披露宴の司会を担当する富樫さんが 富樫雅彦の甥っ子だとわかって僕らは意気投合 この会場での写真撮影を一手に引き受ける事になった

僕がジャズを取り始めたこの頃から ’80年代いっぱいまで活況だったジャズの世界も バブルがはじけてジャズだけでは食えなくなった時代に 僕が婚礼写真を糧にカメラマンとして生き延びる事が出来たのは この時 富樫雅彦の甥っ子さん光明氏に出会った事が幸いだったと今も感謝している

光明氏はその後プロレスのリングアナウンサーとして有名になり現在も活躍中

富樫雅彦が遺した もうひとつの(僕と甥っ子さんの)物語に終始してしまったけど 雅彦さんには この後もたびたび会う事になるので 雅彦物語は次の機会に・・・

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2017/12/06

#0049 1975年11月29日 スティーブ・グロスマン

ほとばしる激情 圧倒的な音圧 ばく進する重戦車のごとき推進力 とタワレコのブログで紹介されている

19751129_0049e6 18歳でウエイン・ショーターの後任としてマイルス・グループに参加してアルバム『Jack Johnson』『Live-Evil』に参加

エルビン・ジョーンズのバンドではデイブ・リーブマンとツイン・サックスで注目を集めた

チック・コリア ペトルチアニ グリフィン等と また たびたび来日して 日野皓正や菊池雅章とも共演した「野獣系ハードバッパー」とも「狂気をはらんだ阿鼻叫喚の咆哮」とも評されたグロスマン

こうして楽屋でくつろぐ姿を見る限り「ジャズ界の生ける神様」「テナーの猛者」を感じさせない ・・・わ、僕と同い年(当時24歳)なかなかのイケメンである

当夜のライブは 日野元彦(ds)トリオ 岡田勉(b) 渡辺香津美(g) @新宿 PIT INN

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