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2011年8月

2011/08/31

マイルス・小林 (MILES' CAFE)

ここのライブ・ハウスはちょと違う。何が違うかと言うと、(名のあるプロ・ミュージシャンのブッキングもされてるけど)ハウス全体がジャズ・スクールであり、セッション道場になってるところ。

もちろん楽器の弾き方レベルの初めてコースもあるけど、常に解放されたセッションの場で、与えられた課題曲や自発的なテーマ曲をジャムして、楽しみながら鍛えられていく方式らしい。
0218a 0218b ジャズ好きマイルス好きが高じてマイルス・カフェを始めたセッション道場のオーナー&マスター、トランペッターでもあるマイルス・小林・・・ マイルスを自称するだけあって笑っちゃうほどマイルス・クリソツのラッパを吹く。

ちょっと違った道場方式のライブ・ハウスは好調で、遂には憧れだったニューヨークに進出して、あちらジャズの本場でも大好評を博している。

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2011/08/28

ケニー・ドリュー(月まで行っちゃいますか?)

0217 西海岸へのツアーを契機に数年間をウエスト・コーストで過ごしたケニー・ドリューは、1956年に生まれ故郷ニューヨークに戻った。

ミュージカル「コネクション」での欧州公演を機に1961年からパリに移住してヨーロッパ生活を始め、'64年からはデンマークに居を移して活動していた。

よほど旅の好きな人だったか、アルバム名を見ると「ニューヨーク・ストーリーズ」「ヨーロッパの午後」「パリ北駅着・印象」「欧州旅行」など、自らの軌跡をたどるようにタイトルされている。

曲名からは「ニューヨーク」「サンフランシスコ」はもちろん、「メキシコ」「チュニジア」「ローマ」「ミラノ」、「中国」「箱根」なんてのもあって、とどめは「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。多くの地名を見つけることが出来る。

Kenny Drew 1928年8月28日 ニューヨーク生まれ 1993年8月4日没64歳

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2011/08/26

ブランフォード・マルサリス(若いころの)

0216 1981年、ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに入団。弟くん"Wynton Marsalis Group"の一員として初来日したのは翌年1982年。

写真は1985年夏、斑尾ジャズFes.で25才の誕生日直前のひとコマ。ちょうどこの頃スティングのバンドに参加するようになっていた。

スティングのヴォーカルに絶妙にまとわりつくソプラノ・サックスを思い浮かべるひとが多いんじゃないかな、ブランフォードと言えば・・・

Branford Marsalis 1960年8月26日 ニューオリンズ生まれ

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2011/08/25

ウエイン・ショーター(ショート~ショーター~ショーテスト)

0215 ウエインがショーターなら、アブリル・ラビーンはショーテスト、ショートショートは星新一 ・・・ なんて、今日はいきなり支離滅裂ですみません。

ウエインはたしかに名前の通り長身ではありませんが、体格はかなりすごいです、男のぼくが惚れ惚れするほどすごいです。

(アブリルにも惚れ惚れします。小さい女性好きです、深津絵里・阿部なつみ・安達祐実・小泉今日子好きです...すみません)

Wayne Shorter 1933年8月25日ニュージャージー州ニューアーク生まれ

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2011/08/21

カウント・ベイシー(アリスのティーパーティー)

0214 唐突だけど、"アリスのティーパーティー"乗ったことある? 子供の頃乗ったか、子供のいる親なら一度ぐらい乗ったでしょ、ディズニーランドとか遊園地のティーカップ。

あれです、あれ。

特権をひけらかすようで申し訳ないんだけど(ひけらかすんだけど) サウンド・チェック中(リハーサル中)のベイシー・バンドのド真ん中に入らせてもらった事があって・・・(ついでに自慢ですけど)

その時の感覚があれですよ、あれ、ティーパーティー。

文章力がないから分ってもらえないんだろなあ、音のウズの中で自分もぐるぐるスパイラルて感じ?サウンド宇宙の中を急降下て感じ?

スゴイ凄い、前からサックスが来て後ろからホーンが来て、ドラムやらベースやらが右から左から津波のように(あ、この時期表現不適切か)とにかく凄んごい音圧とスイングのトルネードですよ、アリスのティーパーティーですよあの中は。

Count Basie 1904年8月21日ニュージャージー州レッド・バンク生まれ〜1984年4月26日没79歳

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2011/08/20

マイルスに一番近づいたフォトグラファー

名刺を作ってみた(しかも3種類)
ちょっと照れ臭いから、ど〜しようかと迷ったけど・・・ウチヤマのキャッチ・フレーズはこれしか無いっしょ!て言われて・・・恥を忍んで、意を決して、作ってみたら・・・いたって好評!
0213 3枚見せて好きなの選んでもらうとか、文字面で渡して写真に気付いた時に「当たり!」と言ってみるとか、何人かにバラで渡して誰が先に気が付くかニヤニヤながめていたりとか・・・楽しみ方がいろいろあっておもしろい、しかも名刺効果抜群!

3枚ともくれと要求するひと、もっと種類を作れと頼む人、壁に貼りたいからもっと大きいサイズにしろと言うやつ・・・それ、名刺以上のこと要求してんじゃん。

いくら気に入ってもネット販売はしていません。本人に会えば、ひとり1枚もれなくもらえます!(名刺だから当たり前です。)

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2011/08/16

マル・ウォルドロン(レフト・アローン)

0212 「レフト・アローン」をビリー・ホリデイ自身の歌で聴いてみたかったのは、ぼくだけじゃないですね。ビリーが歌う「レフト・アローン」の入ったLPを探し回ったおバカは、ぼくだけですね。

「レフト・アローン」はビリー・ホリデイが書いた詞にマル・ウォルドロンが曲をつけた名曲。だけど、ビリー自身の録音は残念ながら残されていない。

ビリーが唄うはずだった哀しい歌詞のメロディーを、ジャッキー・マクリーンのアルトが切々と歌い上げて人気を得たのは、ビリーの死後(1960年)だった。

ぼくはその頃まだ幼稚園生だったから、歌うビリーのポートレイトを撮ることも、マルとジャッキーのレフト・アローン・セッションを撮影することもできなかった。(あと20年ほど早く生まれるか、幼稚園の頃からジャズ・カメラマンになっていれば、出来たかも知れない。)

ある時、同時期に来日していたマルとジャッキーがレフト・アローンを再演する企画が持ち上がり、東京でふたりの再会が実現した。1986年、ぼくはもう成長し上京してカメラマンになっており、このライブ録音「Left Alone '86」のジャケット撮影のチャンスをいただいた。遅く生まれた悔しい思いが、この時ちょっとだけ晴れた気がしたのです。

Mal Waldron 1926年8月16日ニューヨーク生まれ〜2002年12月2日没76歳

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2011/08/15

オスカー・ピーターソン(地震か)

0211 オスカー・ピーターソンを初めて聴いたのは中野サンプラザ・ホール。レコードでは知ってたけど、この体の芯から揺さぶられるグルーブは何だ!ホールごと揺すられるようなスイング感は何だ!スゲェすげぇ~!

第1部が終わるとぼくは急いで緑の公衆電話に駆けつけ、テレカを突っ込んで妹に電話をかけた。「お前やっぱり無理しても来たら良かったのに、やっぱりホンマモンのピーターソンは凄んごいぞ!もの凄んごいスイングやで、ホンマ!」

「あんな、お兄ちゃん、それホンマモンの地震やってん、東京震度4やってんて、スイングとちゃうかってん」

確かに会場が変なタイミングでどよめいたなぁ、と後になれば思うけど、ぼくはそのとき既にオスカー・ピーターソンの超絶技巧に殺られており、そのスイング感にメマイを起こしながら聴き入っていたのだ。

クッソ~!あの時体調悪くて来れなくなった妹を気遣って電話なんかしなきゃ良かった、電話なんかしなきゃ、あれあがホンマモンの地震だったと知らなかったら・・・オスカー・ピーターソンのスイングすげえぞ、心の芯から中野サンプラザまでグラグラ揺らすほどの凄いグルーヴだと信じてたのに・・・

Oscar Emmanuel Peterson, 1925年8月15日モントリオール生まれ - 2007年12月23日没82歳

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2011/08/14

マルグリュー・ミラー(コロッケか)

0210 Mt. Fuji Jazz Fes.出演者の宿舎になったホテルのロビーに1台のピアノがあって、誰かが弾き始めたピアノの音に通りがかりのミュージシャンが集まって来た。

雑談混じりに席を交代したり、連弾してふざけたりしているうち・・・

マルグリューが椅子を取ってピアノのモノマネ弾きが始まった。

この曲をビル・エバンスが弾くとこうなる♬ エバンスの曲をピーターソンが弾くとこうだ♬ マルとかジョン・ルイスの音数が多かったらこんな感じ♫ ハービーとチックを混ぜて弾くとこんなかな?♬

マルグリューのモノマネ・パフォーマンスはピアノを取り巻いたミュージシャンに大受け、そこへ現れた本物のハービーも参加して皆お腹を抱えて大笑いしながら、ピアノ・モノマネ合戦は続いた。Jazz Fes. ならではのアフターアワーズが懐かしい。

Mulgrew Miller 1955年8月13日 ミシシッピー州グリーンウッド生まれ 2013年5月29日没

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2011/08/12

パット・メセニー(ANIMUSIC?)

全編コンピュータ・グラフィックスで描かれた仮想の楽器が、まるで生命と意志を持つかのように、一糸乱れず壮大な音楽を演奏する・・・"ANIMUSIC"と言う作品。(数年前にDVDでリリースされ、YouTubeでも見れますので、是非見てください、ぼくのお気に入りです。)
0209 いきなり脱線しましたが、「オーケストリオン」を見ると、パットは相当この「アニミュージック」に感化されたにちげーねぇ、と思うのはぼくだけですか?(もう誰かがどこかに書いたり言ったりしてますか?)

ふたつのサウンド・ホール、ボディからにょきにょきネックが生えた、42本も弦を張った変なギター(ピカソ・ギター)は、「アニミュージック」中の"Resonant Chamber"に登場する仮想の多弦楽器がモトになっているにちげーねぇ!

最近ちょっと変な方向に行っちゃってる Pat Metheney 1954年8月12日生まれ

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2011/08/09

ジャック・ディジョネット(セットに座ってよ)

現代ジャズ・シーンで最高峰のドラマーは実にクールで真面目な紳士だ。カメラマンの注文にいつも素直に応じてくれるのだけれど、ひとつ、プレイする以外には絶対にドラム・セットに座ってくれない・・・とにかくそれだけはイヤだそうで理由は聞いても言ってくれない。0207

ステージ上のジャックのシンバルの間に見えかくれする表情は歪み、唇を噛んでメンバーを見据える眼差しは厳しい。最大限に自己の音楽世界を表現しようと魂の力をふり絞るかのようだ。

それがまさにぼく自身が狙っているジャックのジャックらしい表情であることに違いはないのだけれど、いつかシンバルの間にスティックを持って、ドラム・セットに座って微笑むジャック・ディジョネットを撮影してみたい。

Jack De Johnette 1942年8月9日シカゴ生まれ

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2011/08/08

ベニ・カーター(楽しくやることだ)

ジャズ・ミュージシャンは短命のひとが多いと言われます、確かにヤクやらナニやらカニやらで若くして逝っちゃったジャズマンを沢山知ってますが、きょうは元気で長生きしたミュージシャンのおはなし。

昨年(2010年)来日公演したハーレム・ブルース & ジャズ・バンドのサックス・プレイヤー、フレッド・ステートンは95歳で現役でした。

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ベニー・グッドマン物語で泣かされた人も多いでしょう "Memories of you"の作曲者ユービー・ブレイクは100歳で亡くなりましたが、カーネギー・ホールで演奏した、98歳の映像が "YouTube" にありました。

ベニー・カーターも元気で長生きでした。元気の秘訣は?の問いに「楽しく音楽をやることだ」と言っていましたが、ぼくは楽器を弾けないから、楽しく写真を撮ることに決めた!

Benny Carter 1907年8月8日 ニューヨーク生まれ〜2003年7月12日没

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2011/08/06

チャーリー・ヘイデン(おまじないですか?)

0205 演奏前に一体何をしてるんかね?と、よく見ると綿を丸めて耳に詰めてるじゃないですか・・・おまじないか何かですかね?

ドラムがうるさくて自分の音がよく聞こえないとか、自分のベースが大きすぎてピアノが聞こえにくいからとか?・・・

でも両耳に詰めてるから違うか・・・耳が良すぎて聞こえ過ぎてやかましいから?

ひとこと聞けば良かったんだけどね、教えてくれたんだろうけど・・・聞きそびれた。

誰か知ってますかね?耳に綿を詰める理由を、または、綿を詰めて演奏したことあるベース・プレイヤーさんいますか?
(小学校のころ、パチンコ玉を鼻に入れて取れなくなったアホがいたけど。)

チャーリー・ヘイデン 1937年8月6日生まれ
8月はベルギーのミドルハイムと、ノルウェーのオスロ・ジャズ・フェスにカーラ・ブレイと共に(リベレーション・ミュージック・オーケストラ)出演。9月はカルテット・ウエストでハリウッドのクラブ・ギグ予定。

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2011/08/03

トニー・ベネット

1988年"J-wave"が本放送を開始し、LPレコードからCDへこの頃逆転したんじゃなかったかなぁ・・・、年明けには天皇崩御で昭和が終わろうとする直前だった。

1988・11月、ニューヨークのジャズの名門クラブ"BlueNote"が東京に進出、オープニング・アクトにトニー・ベネットが招かれた。
0204 "BlueNote東京"が起爆剤になるように、"Keystone Korner TOKYO"・"Blues Alley JAPAN"など外タレをブッキングするジャズ・クラブが次々にオープンして、ジャズは元気いっぱ〜い! ぼくも大忙しの時代が懐かしい。

トニー・ベネット 1926年8月3日 ニューヨーク州生まれ

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硬派ジャズ道(不滅の帝王)

マイルスが死んでもう20年になる・・・10年前に出版された書籍が増補改訂されて刊行された。「マイルス・デイビス:不滅の帝王」

没後20年の視点で改めてマイルスを思うと、今までとはまた違った側面が見え、違った感じ方で聞こえたりする不思議・・・ぼくの中でもマイルスの存在感が微妙に変化し続けている。
0200a ぼくがジャズを撮り始めたのは1975年、マイルス50歳の頃

その年('75年)の来日を最後に、マイルスはすべての活動を停止して引退状態にあったから、"マイルスを撮りたい!"といくら願っても、それは叶わない夢のまた夢だった。

"奇跡の復活"と言われて復帰したマイルスが来日した1981年、マイルスを撮れるチャンスを得たことはぼくにとっても奇跡的な出来事だった。この時マイルス55歳。

1991年、マイルス永眠・・・65歳だった。

マイルスが死んでもう20年になる・・・生きていれば今年85歳、ぼくにとっても不滅の帝王マイルス。

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2011/08/02

ミーハージャズ道(イケメンJAZZ)

ジャズだって見た目から入ったっていいじゃない!?
それが女子的ジャズの楽しみ方・・・

国内外の若手イケメン・アーティストが、ポートレイトと共に紹介されています。

それぞれのおすすめCDには「まったり気分に合うジャズ」・「ドキドキ気分に合う夜遊びジャズ」・「心にしみる泣けるジャズ」3種のキモチ目安マークが付いてとても親切。(てか、夜遊びジャズて?)
0200c 0200d 海外伝説アーティストの項に、ぼくの写真も使われてます、誰でしょう?

さて、あなたなら「美男子JAZZ」に、誰推薦する?

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2011/08/01

ケニー・バレル(ギターも撮ろうよ...)

0203_2 今日はどう撮ろうか・・(ギター抱えたお決まりのポーズじゃ、前回とまた同じだもんなぁ・・・)撮影準備をしながらぼくは考えを巡らせていた。

ギターケースを提げてブルーノート東京の階段をケニー・バレルが降りて来た

・・・決まった♬

「コートも手袋も取らないで、そのままで結構・・・ギターもケースから出さなくてOK!」

出演予定のブルーノート東京に撮影のために少し早めに来てくれたケニーさん。冬の日ファッションがめっちゃ格好よかったから・・・

「でも、やっぱりギターの写真も撮ろうよ」とケースを開けて、お決まりのポーズも撮らせてくれました。

ケニー・バレル 1931年7月31日生まれ
Yoshi'sオークランドで80歳記念ライブが4夜連続で行われた。元気元気!

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