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2011年9月

2011/09/30

バディ・リッチ(drummerworld.com)

0233 バディ・リッチを調べてたら流れ着いたwebサイトdrummerworld.com、これはスゴイ!膨大なドラム・プレイヤーのデータベース/クリニック/フォーラムetc…そしてビデオ集がこれまたスゴイ!(トップ・ドラマーのリストだけで500人!)ジャズもロックも著名なドラマーの演奏や、ソロ・パートだけ抜き出したクリップも充実して、見始めるとキリがない・・・

ジャズ部の皆さんは知ってましたか、そ〜ですか。知らなかったのは、ボクだけですか、勉強不足でスミマセン。さて、リストの中に日本人がいないか探してみると・・・いました!神保彰(熱帯JAZZ楽団)・・・トーゼン入ってきますねジンボさん、だけど、日本人それだけかい!

よく見ると、いましたいましたもう1人、ポンタやトコちゃんを、ファンキー(末吉)モンキー(小林)を差し置いて、見つけた日本人らしき名前は "Senri Kawaguchi" おいおい、ジョージ川口とちゃうんかい!と思ったら・・・ちゃーんと女性ドラマーのリストにもシンディー・ブラックマンやテリ・リンと並べられてた。

おいおい、ナオンかい!・・・して、ビデオを見てまたクリビツ!・・・おいおい、ドモコかい!

川口千里:何と1997年生まれ、5歳からドラムを始め、8歳から菅沼孝三に師事 2007年(10歳で)"Rhythm & Drums Magazine"のコンテストで受賞したとある・・・奥平真吾や本田珠也が現れた時もそれなりにビックリしたけど、ほんと、こりゃクリビツ・テンギョ〜ですわい。

はい、バディ・リッチからすっかり脱線してしまいましたがな。ま、バディ・リッチは皆さんよく知ってるからええやんけ・・・ それより川口千里、知らんもんね!

"drummerworld.com"でずいぶん遊んでしまった・・・ こんなんで、鍵盤ワールド.comとか、ラッパ・ワールド.comとか、いろいろあると楽しいんだけどね、・・・探してみたけど無かった、残念(誰か作ってくれ!)

Buddy Rich 1917年9月30日 NYブルックリン生まれ 1987年4月2日没69歳

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2011/09/28

大坂 昌彦(カメラマンは楽でいい)

12人の仲間達とのとっかえひっかえセッションを収録した、大坂昌彦の初リーダー作"TWELVE COLORS"・・・あのジャケ写、思い出したよ、12色の絵の具パレットと絵筆を持った大坂画伯を、ぼくのスタジオで撮ったんだった。
0232a 0232b それから今日までいくつものセッションで大活躍だったけど(あれから何年たった?) "EQ (The Earth Quartet) "のジャケット写真(NOW & THEN)でまた声掛けてくれたのがうれしかった。4人の強者がダーク・スーツでスタジオに並んだ時は圧巻、それだけで"絵"になったからカメラマンは楽でいい。

2枚組の全曲オリジナル・アルバム、しかも、一発録りライブ盤は、"Hi Speed, Hi Quality"のキャッチ・コピー通りエキサイティングで聴き応え満点!ジャケットに並んだハードボイルド(風)な4人を見てください、くせ者ばかりです。

1966年9月28日 秋田県横手市生まれ

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2011/09/26

GRAUERS(古庄さんとリバーサイド)

書店と楽器屋がひしめく界隈、駿河台交差点近くにジャズ・バー「GRAUERS」がオープンした。・・・スイングジャーナルOBという事で古くから知り合いだった、古庄紳二郎さんがこの家の店主。・・・早速訪ねると、そこは極上の音空間。

 

古庄さんは、ジャズの名門レーベル"RIVERSIDE"のディスコグラフィを作った人として有名。レコードジャケットを1枚1枚自宅で撮影して、デザイナーと写真家、そしてライナーノーツのクレジットまで入れた。演奏時間の表記のないものは自分で測り、データを整理し、レイアウトして。これら膨大なコレクションの全てのファイリングをたったひとりでやったと言うから驚きだ。
0231a

 

 

0231b  カウンター後ろの壁面がちょうどいい具合に空いていたから、マイルスの命日(9月28日)を機に大判の写真パネルを掛けてもらう事にした。(10月末までの期間限定です。)

 

客席側の壁には、リバーサイドゆかりのモンク・・・トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」で重要なポイントになった写真のオリジナル・プリントが、その左のマイルスも中平穂積氏の作品が並ぶ。(写真右上)

 

レコード棚には10インチ盤を含め3千枚以上のLP、(ボクの歳だと)毎日来てもとても全部は聴けない程のレコード。MacIntosh+JBLを軸にした極上の装置で再生される。写真右のターンテーブルはこれもただ者ではない"EMT948"

 

420ページにおよぶディスコグラフィー『RIVERSIDE JAZZ RECORDS』は古庄さんの偉業と言える。後ろで青く光るブルーアイズはマッキントッシュ"MC402"(写真右下)

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2011/09/23

レイ・チャールズ(我が心の缶コーヒー)

0229 「風とともに去りぬ」の舞台、アトランタ(州都)でオリンピックが開かれた・・・ぐらいしかジョージアを知らないけど・・・「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」は知ってるね。

レイはこの曲の大ヒットで、30歳にして初のビルボード・チャートの1位を獲得、同年のグラミーでも「最優秀男性歌唱賞」を受賞しています。"Georgia On My Mind"、てっきりレイ・チャールズの作だと思ってた。

ところがどっこい・・・この曲は、スターダストやニアネス・オブ・ユーの作曲者、ホギー・カーマイケルの作品。レイが生まれたのと同じ年1930年に書き上げたもの。

ジョージア州の親善大使みたいなレイ・チャールズだけど、かつてジョージアの黒人差別に反対して、同州での公演をキャンセルしたために、州から追放されたこともあったと言うからおもしろい。

その後、追放を撤回され、"Georgia On My Mind"は正式な州歌にされたと言うから、またおもしろい。

Ray Charles Robinson 1930年9月23日 ジョージア州アルバニー生まれ 2004年6月10日没73歳

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2011/09/22

マリーナ・ショウ(イルカは飛びません)

イルカ、飛びません。アシカ、逆立ちしません・・・水族館のアトラクションじゃありませんから。0230b マリーナ・ショウはジャズ・シンガー・・・ジャズ・シンガーと言っても、ソウル歌手(韓国じゃないですよ)に近い感じで、ロバータ・フラックとカブってしまうのはボクだけですかね。

ロバータの「Feel Like Makin' Love」のカバーの印象が強いからかですかね?

Marlina Burgess 1942年9月22日 NYニューロシェル生まれ

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2011/09/20

エリック・ゲイル(美人の産地)

0228 SJ誌の「世界ジャズ人名辞典」でエリック・ゲイルを調べると、1940年9月20日ベネズエラ生まれとあった。(これは間違いだと思うけど・・・ベネズエラをちょっと調べてみる。)

野球とサッカーファン以外の日本人には、あまり馴染みのないベネズエラ。ギアナ高地と雄大な大自然の他に観光資源が少ない、て事で・・・美女を資源(?)にしようとベネズエラは「国策」として美女の育成を支援している世界で唯一の国だとか。

確かに、ミス・ユニバースをはじめとする世界のミス・コンでの優勝者・入賞者は他国に比べてずば抜けて多いみたい。(日本人は、森理世がグランプリを獲ったのが記憶にあるけど、それ以前は大昔に1人だけ。)

ラテン人は欧州人との混血が多く、混血は美人率が高い。さらに、美人率高く生まれた少女達は小さい頃から国立のモデル・スクールやエステ学校へ、国立ミス・コン予備校やダイエット専門学校に通うらしい。

「教養」も含め「美しくなる事」にめっちゃ金かけるようで、美に対する意識も欲もハンパないお国柄てこと。

エリック・ゲイルの父親が白人系の混血(アイリュシュ+フレンチ+スコットランド+イタリアン+ベネズエラ)だった事で、何でベネズエラ生まれとされたのか知らんけど・・・データベースの多くは NY ブルックリン生まれとなってます。

エリック・ゲイルからだいぶ脱線したけど・・・まあいいじゃない、美人の産地が分かったんだから・・・日本国内だと美人の産地は? 沖縄産の美女:安室ちゃんも今日お誕生日です。オメデト!

Eric Gale 1938年9月20日 NYブルックリン生まれ 1994年5月25日没55歳

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2011/09/16

ジョン・ヘンドリックス(ボリューム上げちゃうね!)

0227 ヴォーカリーズ(Vocalese)とは、ジャズ・ミュージシャンが楽器で演奏したフレーズに、歌詞を付けて歌うジャズ・ヴォーカルの技法らしい。

アドリブ・フレーズの上にも巧みに(または無理矢理)歌詞を乗せていく方法は、歌詞のないスキャットとはちょっと違うようですが、詳しくは知らん。クラシック音楽で言うヴォカリーズ(Vocalise)とも微妙に違うようです、音楽学校で教わって下さい。

ジョン・ヘンドリックスは、ヴォーカリーズの元祖みたいに言われてますけど、調べてみると、もっと以前に始めたヤツがいて・・・それを取り入れて人気を博したコーラス・グループ「ランバート・ヘンドリックス&ロス」が広めたようです。

マンハッタン・トランスファーと共同制作したアルバム"VOCALESE"が、7つのグラミーを獲ったりしてヒットして、一般にもよく知られるようになりました。

エリントンやベイシー、レスター・ヤングやマイルスが吹いた複雑なアドリブを、声を楽器のように再演するスリルが面白く、思わずカーラジオのボリューム上げちゃいますね!

変な抑揚で韻を踏んだ歌詞を、あまりメロディアスじゃなく、リズムに乗せるラップ(ヒップホップ)は大嫌い。思わずカーラジオのスイッチを切っちゃうね。

Jon Carl Hendricks 1921年9月16日オハイオ州ニューアーク生まれ

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2011/09/13

メル・トーメ(ベルベットの霧て?)

0226 "Chestnuts roasting on an open fire♪"暖炉で栗の実がはぜてる♪けど、さるかに合戦の歌じゃなくて、メル・トーメが作ったザ・クリスマス・ソング(ザ・が付いてるとこ注意な!)聴いたことないとは言わせないyo。

当ったり前すぎるタイトルのせいで、ジングル・ベルとかホワイト・クリスマスより、知名度低いけど"YouTube"にあるから聴いてごらん・・・絶対知ってるから。

温かみと繊細さを兼ね備えた感傷的な歌声、で、「ベルベットの霧」て言われても、いまいち良く分からないのはぼくだけですね。

「ジャズの百科事典」て、トニー・ベネットに言われたらしいけど、ジャズの物知りてこと? 何でも歌えるてことかな?

これが一番わかりやすい「スキャットの帝王」、丁々発止のスリリングなチェイスは、いっこく堂にも真似できない。

Melvin Howard“Mel”Tormé 1925年9月13日シカゴ生まれ 1999年6月5日没73歳

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2011/09/12

ハリー・コニック・ジュニア(イケメン+才能+etc.etc.)

0225 p+vo+マスク+スタイル+ファッション+才能、それに若さを加えてイコール=ハリー・コニック・Jr.となります。

順に解説すると、まずp : ジャズ誕生の地ニューオリンズに生まれ、あのエリス・マルサリス(ウイントン/ブランフォード兄弟の父)にもピアノを教わった。デビュー作は歌無しの純粋ピアノ・アルバムでキッチリ聴かせてます。

vo : 甘くセクシーな声、小粋なヴォーカルで女性の心も見事にキャッチ。20歳で発表した第二作「20」ではドクター・ジョンやカーメン・マクレエとのデュエットを聴かせ、「ジャズ・ピアニスト」から「歌うピアニスト」へ、そして「ピアノを弾くシンガー」へ。

マスク&スタイル : 「凛々しい」という表現がピッタシのイケメン。この顔とスタイルで映画にも出演してますますファンを魅了するなど、その歌声とあいまって「フランク・シナトラの再来」と言われるユエン。

ファッション : 来日したハリーを撮影することになった。特設スタジオになったホテルの一室にハリーが現れたとき関係者の間にも歓声が上がった。スーツ姿のダンディーぶりに女性担当者もうっとり溜息をもらす。ぼくは背景を替え、トレーナーに着替えて踊るように動くスーパー・モデル・ハリーを連写した。

才能&若さ : 22歳で「ウェン・ハリー・メット・サリー」がミリオン・セラーを記録、続く「ウィー・アー・イン・ラブ」と共にグラミー賞を2年連続受賞。フル編成のビッグ・バンドを率いてのコンサートではピアノも歌も、バンドを統率する指揮ぶりも何もかもとにかくカッコイイ。バンド・リーダーとしての才能もすでに一流。

聴衆の熱狂的な歓声を受けて演奏されるスイング感たっぷりなナンバーはスタンダードに混じってその多くがハリーのオリジナル。ソング・ライターとしての優れた才能をも発揮するとんでもない若きビッグ・エンターテイナー。

Harry Connick Jr. 1967年9月11日ニューオリンズ生まれ

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2011/09/10

エルビン・ジョーンズ(写真展アンコール!)

星さんはプロのフォトグラファーではなく、いわゆる普通の会社にお勤めのいわゆる普通の道子さんです。エルビンに心奪われた星 道子さんは、ライブに足を運び、熱い思いを直接伝えて撮影許可を手に入れました。 …大変な事です。

ジャズを撮った経歴があり発表すべき権威ある媒体があったり、所属事務所やレコード会社からの依頼でない限り、個人レベルでミュージシャンの写真を撮らせてもらう事は、そう簡単なことじゃないはずです。

しかも一度きりじゃなく機会あるごとに密着して、オフ・ステージでのなごやかな表情まで撮らえるには、被写体本人の信頼を得なければ不可能。

それを、このいわゆる普通の道子さんはひとりでやってのけたのですから、驚きです。エルビンとエルビンの音楽性を敬愛して意欲を伝えた星さんの情熱と、その人柄と心意気を受け入れたエルビンとの素晴らしい成果です。
0223_2 0223b_2 写真左:1985年8月新宿ピットイン、ウイントンを迎えてコルトレーンに捧げた「至上の愛」ライブ録音時のエルビン
右上:2006年の星道子写真展案内はがき 右下:写真展にゲスト出演した高橋知己

星道子写真展「魂 ELVIN」は2006年の秋、銀座のフォト・ギャラリーで開催されました。しかし、開催期間がたったの数日間だった事、告知が充分でなかった事が残念でした。

前回行けなかった見れなかった人のために、もう一度やればいいとぼくが勧めて、写真展をアンコール開催する事になりました。スペースの関係上、展示点数は少なくなりますが、(2011年10月中)約1ヶ月間のロングラン開催を予定しています。
会場は銀座1丁目のジャズ・カフェ「Blue Eyes」ライブ開催時以外は入場無料です。

正確な日程がまだ未定ですので、決定次第お知らせしましょう。会期中、会場ではエルビンに捧げるライブも企画中、こちらの詳細も改めて告知いたします。

Elvin Ray Jones 1927年9月9日 ミシガン州ポンティアック生まれ 2004年5月18日没76歳

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2011/09/07

ソニー・ロリンズ(靴が買えない)

マイルスの写真集を出した時、マイルスにまつわるエピソードについて質問攻めにあったあとに、「マイルスの次なる被写体はロリンズあたりですか?」と必ず聞かれた。

ジャズ・ジャイアンツとしてマイルスと並び称されるソニー・ロリンズは、マイルス亡きあと、現モダン・ジャズ界の最高峰と言って間違いない。
0222  '70年代の後半に6年もの間、演奏活動を休止したマイルス・デイヴィスだったが、ソニー・ロリンズにもまた沈黙の時期があった。絶頂期にありながら2度3度と音楽の現場を離れた空白期に、ロリンズはマンハッタンに架かるウイリアムズバーグ・ブリッジの上でサックスを吹いていたと言われる。

 よく写真で見る荘厳な石作りのブルックリン橋やブルーの橋脚が美しいマンハッタン橋でなく、あまり有名でないこの橋を選んだのは、他の橋より人通りが少なくて練習に集中できたからだと言う。

 1962年にリリースされた、復帰後第一作のアルバム・タイトルは「橋(The Bridge)」

 ソニー・ロリンズには、チョー代表作「サキ・コロ」と呼ばれる"Saxophone Colossus"というアルバムがあるが、コロッサスとは、"巨大な人・偉人"と辞書にあるとおり、まさに巨体!

 ある時、演奏前の楽屋を訪ねると、足を投げ出しソファーに深く沈んでリラックス(または精神統一)のご様子。脱ぎ散らかした靴に目を止めたぼくに向かって、「そんなサイズだから、私は日本じゃ靴を買えないんだよ、あははは・・・」と笑った。

体も足も巨大ならそのサウンドも巨大。ラテンリズムで吹きまくるソロの大ブロウも豪快なロリンズだけど、その演奏スタイルに似合わず、意外にも穏やかでデリケートな印象の人であった。繊細な精神とプレイを常に追求する姿勢が、もしかしたら過去の「雲隠れ」の理由の底辺にあったのかもしれない。

Sonny Rollins 1930年9月7日 ニューヨーク生まれ

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2011/09/04

デイブ・リーブマン(ジャズ・フォトグラファー・デビュー)

ぼくが初めて撮ったジャズ・ミュージシャンがこのひと、デイブ・リーブマン

後にスイング・ジャーナル誌の編集長に出世する中山康樹が、上京し同社に入社してまだ間もない頃・・・ ぼくは写真学校を卒業して丁稚奉公中・・・ 同郷のよしみで「ジャズを撮ってみないか」と声を掛けてくれたのがきっかけだった。

時は1975年秋、リーブマン率いる"Lookout Farm"の日本公演にカメラをかついで出掛けたはいいけれど・・・
0221 舞台と観客に挟まれた脅迫感満点の撮影ポジション、暗いステージで禿げたおっさんがデタラメな音階を唾を飛ばしながら吹きまくるのをファインダーに捕らえて、ぼくは無我夢中でシャッターを押しまくった。

格好つけてジャズ喫茶に出入りしてはいたけれど、実は天地真理に心奪われ、岩崎宏美は歌うまいなぁと聴き惚れていた程度のぼくの音楽レベル・・・ジャズをほとんど理解しないまま、ジャズを撮り始めたわけだ。

リーブマンの誕生日を祝し、35年前のファイルを引っ張り出してこの写真、ぼくのデビュー作を見つけ出した。

この初仕事の成果を児山紀芳(当時の)編集長に認めてもらえた事で、その後のぼくは底知れぬジャズの泥沼にずぶずぶと沈んでいくことになる、ジャズ・フォトグラファー・デビューの記念すべき(言い換えれば、悪魔の)1ショット。

写真も未熟な若造が、ジャズを知らずに撮った1枚の、この大胆な構図は何だ!この躍動感は何だ!・・・今になって、24歳の駆け出しカメラマンをちょっと褒めてやる。

Dave Liebman 1946年9月4日 NYブルックリン生まれ

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2011/09/02

ホレス・シルバー(シルバーのサインペン)

0220 旧知の友人に今さら「名刺下さい」と頼みづらいのと同じように、たびたび会ってるミュージシャンに改めてサインを求めるのは何だか照れ臭い・・・

サイン収集の趣味も無いから、多くのジャズマンに会っていながら、ぼくはほとんどサインを貰っていなかった。

写真に写っている本人の直筆サインがプリント上にあれば価値あるんじゃない?そんな作品集めて写真展やったら面白いんじゃない?と、ある時ふと思い付いて・・・

思い付いて最初に会ったのがホレス・シルバー・・・ シルバーさんだからシルバーのサインペンでサインをいただこう。

その後、何人かのミュージシャンに(シルバーさんじゃない人にもシルバーのペンで)おねだりして、少しずつサイン入りオリジナル・プリントのコレクションは増えていった。

ところが、撮った写真を現像〜プリントして(今みたいなデジタル時代じゃなかったし)次会う時にサインをもらう・・・それが思った以上に難しい。

短い訪日中に2度会うのは結構大変。たびたび来日する親日家でも次に会えるのは翌年とか。2度目に会う時も大抵ぼくは撮影機材を担いでいる訳で、重たいカメラの他にプリント・ファイルを持ち歩くのも面倒くさい。ニューヨークまでファイル持って行く気ないし。

そんな理由で、ミュージシャン直筆サイン入り写真展構想は短期間のうちにポシャってしまった。

Horace Ward Marein Tauares Silver 1928年9月2日コネチカット州ノーウォーク生まれ

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2011/09/01

アート・ペッパー(胡椒売ってましたか?)

0219 内山さんのご先祖が山深いへんぴな所に住んでいたかどうか知らないけど…田中さんとか中村さんとか川島さんとか、日本人の名前のルーツは地名や地形から来たのが多いような気がする。(佐藤さんや鈴木さんのことは知らん)

アート・ペッパーさんのご先祖はきっと胡椒など香辛料の商家だったに違いない。

同じアートさんでも、ファーマーさんは農家、テイラーさんの実家は仕立屋さん、ブレイキーさんの先祖は制動機(?)を作ってたらしい・・・ 欧米人の名前には職業を表すものが多い。

ペッパー家の香辛料屋さんでケシの実や大麻を扱っていたかどうか知らないけど、アートは麻薬中毒のために収容所やら刑務所やらに入れられて演奏活動をたびたび中断した麻薬の常習犯だった。

初逮捕後の翌年に釈放されて、生涯吹き続けることになる「ストレート・ライフ」を録音したにもかかわらず、懲りずにまたやってまた逮捕~また投獄。

2度目の釈放の後に吹き込んだのが「リターン・オブ・アート・ペッパー」。監獄からリターンした出所記念アルバム。

60年代は麻薬常習者として刑に服したあと、体を壊して入院生活や更生施設に入ったりして長いブランクの時期となった。

施設で出会ったローリーと出所後に結婚。彼女の献身的な愛情に支えられて、アートの社会復帰が実現したと言われている。(夫婦そろって逮捕されてしまった日本のアホな芸能人は、どうやって立ち直るんだろうか?)

Art Pepper 1925年9月1日 カリフォルニア州ガーディナ生まれ 1982年6月15日没56歳

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