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2012年5月

2012/05/27

ゴンサロ・ルバルカバ

120527b 本人に面と向かっては言わないけど、ギョーカイ人同士の会話に飛び交ってるちゃん付けで呼ぶと親しみがわく名前のミュージシャン達

ハナちゃん(ローランド・ハナ)・ガッちゃん(スティーブ・ガッド)・ルーちゃん(ルー・タバキン/ソロフ)・マルちゃん(マル・ウォルドロン)・ゴンちゃん(ゴンサロ・ルバルカバ)

特に"ゴンちゃん"の響きは日本人にとって馴染みがあって呼びやすいから、側近の担当者が本人に向かってさえ"ゴンちゃん"と呼ぶのにつられて・・・ぼくもついつい"ゴンちゃん"ここに座って、"ゴンちゃん"ピアノに向かって少し右を向いて、"ゴンちゃん"顔上げてスマ〜イル〜!と<キューバの至宝>と言われる世界的ジャズ・ピアニストに向かって"ゴンちゃん"呼ばわりの撮影会になった。

端から見たり聞いたりすると失礼な話だけど、日本大好きなゴンちゃんは日本人から親しみを込めてそう呼ばれる事を本当に嬉しく思っていて、"ゴンちゃん"と呼ばれるたびに形相を崩すゴンちゃんなのです。

Gonzalo Rubalcaba 1963年5月27日 キューバ・ハバナ生まれ

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2012/05/26

内山 繁とトランペット 2×2×2=∞

父は新聞記者、母は洋裁の先生という普通のサラリーマン家庭に生まれた。
「13歳で中学の吹奏楽部に入ってトランペットを与えられた。ちょうど東京オリンピックの年だったから五輪ファンファーレを吹きまくって得意になってたさ。」

アイドルはニニ・ロッソ/ハーブ・アルパート、その後シカゴ/B.S.T.とブラス系まっしぐらだったけれど・・・マイルス/リー・モーガン/クリフォード・ブラウンには何故か行き着かなかった。

華やかで格好いいブラバンの中でも楽器が大きくてひときわ目立つトロンボーンを本当は吹きたかった。たった3つのバルブだけで音階を吹くトランペットはえらく難しそうで、単純にスライドを伸び縮みさせるトロンボーンのほうがうんと簡単に見えたから。
120526a トランペットはたった3つのピストンだけで全ての音階を演奏できるのを不思議だと思いませんか? サックスやフルートなんかあんなに沢山キーがあるし、ピアノなんて音の数だけ鍵盤がいるんだから・・・

トランペットは押すか押さないかの状態が3つのバルブそれぞれで、2×2×2=8通りの押し方しか無いのに不思議じゃないですか!?誰がこんな仕組みを思い付いたんでしょ!?マイルスですか?んな訳ないっしょ!

マイルス・デューイ・デイヴィス 三世、父は歯科医、母は音楽教師という裕福な家庭に生まれた。
「13歳の誕生日に親父がトランペットを買ってくれた。お袋はバイオリンをプレゼントしたかったらしいが、親父が押し切ってトランペットにしたんだ。」

あれ?ちょと似てますね、ぜんぜん違うけど・・・

Miles Dewey Davis III 1926年5月26日 イリノイ州アルトン生まれ 1991年9月28日没 65歳

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2012/05/25

ウォレス・ルーニー(どんだけマイルス!?)

マイルス・デイビスのフォロワーは大勢いるけれど、中でもマイルスの後継者と誰もが認めるのがウォレス・ルーニー。

マイルスと同じマーティン製の色まで同じモデルの楽器を手に、マイルス音、マイルス・フレーズを自分のスタイルにしてしまった・・・'60年代のマイルス・クインテットのメンバーだったトニー・ウイリアムスやロン・カーターと共演して、マイルス作品とは切っても切れないプロデューサー:テオ・マセロを迎えたアルバムを作ってしまうとか・・・どんだけマイルスになりたいんだよあんた・・・
120525a マイルスに近づきたい思いは音楽性だけにとどまらず、マイルスと同じようにボクシング・ジムに通って体を引き締めているという。

その効果あって斜に構えてうつむき加減にラッパを吹く姿はマイルスに似て・・・そうなってくると、何となく顔までマイルスに似ているように見えるのは気のせいだけじゃなさそうだ。誕生日まで1日違い(マイルスは5月26日)

1991年のモントルー・ジャズ・フェスティバルで、ウォレスはマイルスと共演している。体調に不安のあったマイルスは、自分の最大の信奉者ウォレスを従えて大編成のオーケストラの前に立ったのだった。

そのわずか2ヶ月後にマイルスは天に召され、遺言によって2本のマイルス・モデルのトランペットがウォレスに贈られたと言う。

ウォレスを説明する文中に「マイルス」を17回書いた・・・「ウォレス」は5回

Wallace Roney 1960年5月25日 ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ

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2012/05/24

アーチー・シェップ 「人間の証明」

120524a アーチー・シェップをググったりヤフったりすると、「人間の証明」絡みが出てくるけれど・・・「人間の証明」のテーマは(ぼくの中でも皆んなの中でも)ジョー山中に決まってると思うわけで・・・映画公開当時(1977年)のCM"Mama, Do you remember…"ジョー山中の歌は、深い谷に落ちていく麦わら帽子の映像と共にTVに流れまくってました。

母さん 僕のあの帽子どうしたでせうね
ええ 夏 碓氷峠から霧積へ行くみちで
渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ...『帽子』西條八十

歌詞は詩人:西條八十の詩をジョー山中が英詩にしたもの、作曲は大野雄二。
ジョー山中は昨年(2011年)亡くなりました、ソウルフルに響く歌声の記憶が蘇ります。

Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago,flew to the foggy canyon

Mama,that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
Like the life you gave me...Like the life you gave me... 悲しいです切ないです・・・

アーチー・シェップのことを何も書いてませんが・・・すみません、アーチー・シェップのことは何も知りません。"YouTube"を探すと、「人間の証明(Proof of the Man)のテーマ」が、ダラー・ブランド(p.)との共演で聴くことができます。かすれたアルトの悲しいトーンと静かなピアノのデュエット、1978年に日本の"DENON"に吹き込んだアルバム「DUET」からの1曲。写真も同年の来日公演@中野サンプラザ

Archie Shepp 1937年5月24日 フロリダ州フォートローダデイル生まれ

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2012/05/23

リッチー・バイラーク(おやすみアルバム)

1975年の秋、ぼくが初めてスイングジャーナル誌の依頼でジャズを撮ったのは、デイブ・リーブマンのルック・アウト・ファーム。グループのピアニストがリッチー・バイラークだった。

当時のコンタクト・シート(撮影フィルムのベタ焼き)を出してみると、新米カメラマンの慌てっぷりが読み取れておもしろい。でもまあ、どうにかこうにか合格点をいただけたことで、ぼくのジャズ・フォト人生が始まったのだから…その初戦と言える"Lookout Farm"のメンバーには思い入れ深いものがある。
120523a 写真は、その後たびたび来日するリッチーとすっかり仲良くなって撮った(こんなアングルから撮れるチャンスはなかなか無い)レコーディング中の1ショット。この時録音されたアルバムは、今もぼくの「おやすみアルバム」お気に入りの1枚。

Richard(Richie)Beirach 1947年5月23日 NYブルックリン生まれ

デイブ・リーブマン(ジャズ・フォトグラファー・デビュー)

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2012/05/19

"サー"と笠井義正

120519a 120519b ジャズ・ファンに<サー>は?と聞くと<サー・ローランド・ハナ!>と即座に答えますが、ロック・ファンは <サァー? サァーフィン・USA! サァージェントPepper's?> と答えるかも知れません。クラシック・ファンは「さぁ〜??」と言うだけです。

今日の話は<サー・チャールズ>ですが、チャールズ皇太子の事じゃなくて(皇太子にサーは付けません)、サー・チャールズ・トンプソン・・・1918年3月生まれだから、現在94歳のピアニストです。

サー・チャールズと、クラリネット&ソプラノ&テナーサックスを吹く笠井義正、久しぶりにニューオリンズ・ジャズをたっぷり聴いてきましたよ。

@銀座ヤマハ・ホールです。新装開店して(1910年春)古いホールの面影まったく無く、キース・ジャレットに弾いてもらいたいほど立派な近代的なホールになりました。

キースにここで演って欲しいけどムリですね鯉沼さん・・・キースはNYスタインウェイしか弾いてくれないようです。他メーカーにエンドースメント契約のあるミュージシャンは、ヤマハ・ホールに出られないんでしょうか?・・・YaHoo知恵袋に訊いてみたいもんです。

(すっかり脱線してますが)1941年東京生まれ、デキシー派の大ベテラン:笠井義正のCD"Back to the Delta"リリースです。ニューオリンズ・ジャズは、サトウキビをしがんでいるような素朴な味がしますね。("しがむ"て言葉、絶滅寸前ですかね?関西弁でしょうかね?)

New CDのジャケット写真をとても気に入っていただきました。昨年録音されたライブ盤に、初回プレスのみボーナス・トラックが入っています。おまけは、"ルイス・ネルソン・ビッグ4"に笠井義正が共演した1964年に録音された2曲です。

<サー・ローランド・ハナ>はリベリアの当時の大統領から正式に「サー」の称号を授けられましたが、<サー・チャールズ・トンプソン>は、サーの称号に値するほど高貴なプレイをすると、レスター・ヤングが付けたあだなだそうです。(自分で付けたと言うウワサもあります。)初めて会ったとき、「40秒で支度しな!」のドーラ(ラピュタの)かと思った。

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2012/05/18

向井滋春(300人目のFB友達)

向井滋春と聞くとこの写真を思い出す。ストロボ・アクションで捉えた向井滋春・少林寺拳法の勇姿。これは1979年のS.J.誌3月号、新作「ヒップ・クルーザー」の発表を機に大注目を集めた特集ページのひとコマ。
120518a 当時はマルチ発光できるストロボは特殊な機材で、屋外で使うには大容量の発電機も必要だった。重たい撮影機材をかついで寒い冬・夜の公園、何度も何度も少林寺の型を繰り返してもらった・・・このカット以外にも、多摩川の河原やライブハウス、ご自宅まで押しかけて撮らせていただいたのが懐かしい。

ぼくがジャズを撮り始めた頃から、すでにジャズ界をリードするトップ・プレイヤーだった向井滋春。最近とんとご無沙汰してたけど、フェイスブックの友達申請にOKしてもらって、沢山の思い出が今またよみがえった・・・FBでもよろしくお願いしま〜す。

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2012/05/17

ジャッキー・マクリーン...ホンマかいな!?

120517a 物憂い切ないアルトの名演「レフト・アローン」や「クール・ストラッティン」がジャッキー・マクリーンの代表作とされてるのは、実は日本だけで、それは日本人独特の感性に訴える何かがあるからだと"JazzTokyo"の稲岡邦弥氏が言うから・・・ホンマかいな!?と調べてみると確かにアメリカ版 "Wikipedia" にはそれらを代表作とするような記述はなかった。

ごく限られた特殊な世界ではジャズ・フォトグラファーと認知されている男が、他所では婚礼写真屋のオッチャンだったり、またある所では単なる飲んだくれのスケベオヤヂと認識されてるのと似てる(似てないか!?)

マクリーンは優れた演奏家であると同時に、地元ハートフォード大学にアフリカン・アメリカン・ミュージックの学部を創設して教壇に立ち、学生から慕われた熱心な音楽教育者であったと書かれている"JazzTokyo"の記事はためになる。

記事はためになるけど、"JazzTokyo"のwebページに使われたマクリーンの写真は、1990年の来日時に"KeystoneKorner Tokyo"でぼくが撮ったもの、<Courtesy of Hartford University>じゃなく、<Photo by S.Uchiyama>とクレジットしてほしかったなぁ稲岡さん。

John Lenwood (Jackie) McLean 1931年5月17日 NY生まれ 2006年3月31日没 74歳

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2012/05/16

早坂紗知"minga"のすばらしき人生

酒が飲めないひとも酔っぱらう芳醇の美酒ミンガ。忌日も祝祭日になる聴門来福の浄土ミンガ。これを聴いて座ってられるのは、世界中で大仏だけだ。<田中啓文/作家>

啓文センセ、さすがうまいこと言うたはります。ごちゃごちゃ言うてんと聴きなはれ的、はちゃめちゃに楽しい"minga"です。
120516a 120516b ← これは早坂紗知ではないと思われます。

ごちゃごちゃ言いませんけど、ひとつだけ言うときたいこと。

福島の震災復興支援のアクション 「PROJECT FUKUSHIMA!」 に賛同するミュージシャン達が、音楽配信によって協力を呼びかけています。

坂本龍一や梅津和時も名を連ねる支援サイト<www.pj-fukushima.jp/>から、"minga"の底抜けにすばらしき人生<La Maravilla!>をポチッすると、あなたもきっと座ってられなくなります。

スタジオ・シーンを集めた"La Maravilla 予告編"はYouTubeで <http://www.youtube.com/watch?v=H63aMZji6G8&fmt=18%20>
楽しいレコーディングでした〜♪

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大野えり(ご近所ライブ)

いいオンナになったなぁ・・・て、別にぼくが育てた訳じゃないけどさ・・・大野えりに初めて会ったのは、彼女が大学を卒業して間もなく、まだ上京してくる前のこと。当然ぼくも若かった訳で、六本木の「ミンゴス・ムジコ」に出演中の彼女を連れ出して、ドキドキしながら撮影した事を思い出すよ。

写真左のキュートなえりちゃんは、スイングジャーナル誌 1978年4月号。記事を読むとデビュー前から、既にその実力を高く評価されていた事がわかる。
120515a 120515b世田谷に住む大野えりのライブが、世田谷区/三軒茶屋であると言うから、世田谷区/経堂住まいのぼくは世田谷区/上馬の友人を誘って行ってみることにした。

世田谷区/桜にある"Studio 273" で録音された、大野えりのアルバム「standards」 レコ発記念、題して「世田谷ご近所ライブ」

「えりちゃん!?・・・」ステージ前に声を掛けたぼくを「ウチヤマさん!?」と一発で言い当てた・・・何十年ぶりの超久しぶりだと言うのに。

S.J.誌のコピーをあげたら、彼女もあの撮影の事を鮮明に覚えていて驚かされた。・・・しまった、あの時もっともっとお近づきになっとけばよかった(か?)

あたりまえなことに感謝し、”What A Wonderful World"と言えるように。。。これが、私のstandards. 心からの愛をこめて・・・とライナーノーツに書かれた大野えりの心だ・・・いいオンナになったなぁ(うっとり♪)・・・

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2012/05/14

Jazz Life 2012.6月号「ふたつゆ」

去る4月に東京/銀座で開催したイベント「Jazz & Photo Talk 1961-2012」 ジャズライフ6月号に、3ページにわたって詳細なレポート掲載いただいた・・・常盤武彦が語ったイベント開催に至る経緯も面白く書かれてます。(うわぁーこれ行きたかったぁ〜巻頭:エスペランサ/ニューヨーク・ライブのフォト&レポートも常磐氏)
120523a_2 120523b_2 120523c_2 同じ6月号に「ふたつゆ」のインタビュー記事があった。

「ふたつゆ」は、ピアニスト:由佳とヴォーカリスト:友紀子、ふたつの「ゆ」がある二人ユニット。

前作=春がテーマの[はるいろ]に続いて、夏をテーマにした2ndアルバム[なついろ]が5月23日リリースになる。

ブラジル&ラテン・フレーバーの中に日本人的アイデンティティを忘れない「ふたつゆ」の個性をぼくが気に入って、何度か聴く内お互い意気投合して、CDジャケ写の撮影を依頼されて引き受けた。

写真右はスタジオに真夏の太陽をギラギラ輝かせて撮ったホット・ショット! CDもうすぐ発売、レコ発ライブ・ツアーは6月から、東京・名古屋・大阪・神戸・沖縄まで行っちゃう!?

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2012/05/13

ギル・エヴァンス(100回目の誕生日)

ディズニーランドを回るのに大変なエネルギーが要るように、短い滞在の旅行者にとって大人の遊園地と言われるニューヨークで遊ぶには「気力・体力・予習・復習」がすべて(金もかかるぞ)。

・・・昼間はおのぼりさんして観光地、美術館、博物館、ショッピング・・・。夜は?・・・夜は?夜はいつも悩みの種。レストラン?ミュージカル?映画?コンサート?いやいや、何はさておきジャズ・クラブと言うジャズ好きのあなた。観たい聴きたい本場マンハッタンのジャズ・クラブ。(でしょ)

120513a インターネット情報で事足りる今と違って、’80年代にニューヨークを訪れたジャズ好き(僕)の情報源はヴィレッヂ・ヴォイス。(当時は1$、今は無料配布のタウン情報誌)ジャズ・クラブの広告ページをめくって赤○印を付けるんだけど、そのうちそこらじゅうが赤○真っ赤っかになって、訳の分からない状態になってしまいます。

訳の分からないままヴィレッジの夜を足の向くまま徘徊しては、行き当たりバッタリのライブに飛び込むのも(ひとり歩きの時は)いいかも知れないけれど・・・

・・・でも、月曜日だけは簡単!「ヴィレッヂ・ヴァンガード」や「ブルーノート」は置いといて、月曜の夜は「スイート・ベイジル」と決まってた。(※注:’80年代の話ですよ!)マンハッタンは七番街のダウンタウンにあったこのクラブ「毎週月曜日はギル・エヴァンス:マンデイナイト・オーケストラ」ジャズ好き’80年代の常識です(でした。)

(※注:看板以外の店構えはほぼそのままに、今は(Sweet Rhythmと言う)別の店になってるので注意! 月曜日は音楽学生の、たまに有名ミュージシャンのライブもあるらしいので注意!)・・・あれからまた時間が経ったから、店もう無いかも!?

Gil Evans [Ian Ernest Gilmore Green] 1912年5月13日 オンタリオ州トロント生まれ 1988年3月20日没 75歳

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2012/05/02

シャーリー・ホーンじゃないと思うぞ...

自分で伴奏をつけながらひとりで歌うのを「弾き語り」と言う・・・「弾き歌い」と言わないのは何で?ベベンベン♪と三味線を弾きながらうなる浪曲や長唄なら「弾き語り」かも知らんけど・・・ゆずやアンジェラ・アキはどう聴いても「・語り」と違ごて「弾き歌い」やろ。
120501a 語りかけるようなボーカルと絶妙のピアノ伴奏で、どう聴いても「弾き語り」の歌手:シャーリー・ホーン。

ワシントンD.C.のクラブ歌手だったシャーリーは、マイルス・デイビスに目を掛けられてニューヨークの表舞台に立つ事になったと言う。

グラミー賞を受賞した98年発表の『アイ・リメンバー・マイルス』、ジャケットのイラストはマイルスが描いたもの。

マイルスがいくらシャーリー好きだといっても、アルバム「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の"ホーン"はシャーリー・ホーンじゃないと思うぞ。

Shirley Horn 1934年5月1日 ワシントンD.C.生まれ 2005年10月20日没 71歳

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2012/05/01

パーシー・ヒース 地味ぃは弟の名前やろ!

モダンジャズ・カルテットのごく初期から最後の録音まで長く活動したから、MJQのベーシストとしての肩書きがでかいけど・・・
120430 ジミー・ヒース(ts) アルバート・ヒース(ds)ふたりの弟たちと結成したヒース・ブラザースでの活動のほか、パーカーやマイルス、ウエスやキャノンボールとも共演して幅広く活躍してたことも知ってあげよう ・・・MJQが本業で、他がアルバイトて事じゃなく、弟の名前がアルバート ^^;)

幅広いけど地味だよねと言っても、地味ぃは弟の名前やろ!て突っ込まんでええから。

確かにパーシーのベースは地味っぽい、だけどベースのベースたる基本じゃないですかねぇ ・・・しゃしゃり出て来てウザいベースより安心できるベースです・・・

79歳になって、初めてのそして最後になった唯一のリーダー・アルバムを出しました。地味で控え目なパーシーらしい、ベースマン魂をしっかり感じます。

Percy Heath 1923年4月30日 ノースカロライナ州ウィルミントン生まれ 2005年4月28日没 81歳

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