2021年2月
2021/02/15
2021/02/14
2021/02/13
R.I.P. チック・コリア
初めてチックに会ったのは1978年の2月 1万2千人の聴衆で満たされたハービーとチックの夢の共演の会場 アリーナの中央に2台のグランド・ピアノが置かれた日本武道館だった。
(以下スイングジャーナル誌の記事より引用)
夢が現実のものになった!--- 1978年2月15日 午後7時、遂にハービー・ハンコックとチック・コリアが1万を超す大聴衆の前で相まみえた。はたして、現代ジャズ界を代表する2大人気ピアニストの武道館での世紀の顔合わせは、固唾をのんで見守る聴衆の目と耳を3時間にもわたり釘付けにした。コンサートはヒット曲の他、各人のソロを交えた多彩なプログラムで、伝説のピアニストアート・テイタムの<ライザ>バルトークの<ミクロコスモス>まで取り上げられ、文字通り”夢の共演”の名にふさわしいものとなった。
2021/02/06
27歳の新米カメラマン
1978年5月に開港したばかりの真新しい成田空港ロビーで ジャコ・パストリアスとピーター・アースキンを加えた新生ウエザー・リポートを乗せたJAL61便を待っている 27歳の新米カメラマン・・・後にピーター・アースキンがこの時の記憶を綴った嬉しいコメントをくれた。
僕と同じ年頃の若い写真家、彼は愛用のSLRのファインダーを覗くのに便利なように野球帽を後ろ前にかぶっていたが、おかげで彼が写真を撮っていない時には、絶やさぬ笑顔と目のきらめきがよく見えた。彼の名は内山繁。日本の音楽雑誌「スイングジャーナル」に雇われてバンドの撮影に来ていたカメラマンで、バンドの写真を撮るにあたっては「一線を越えない」よう求められても不思議はなかったのに、僕らの行くところすべてについてきて、バンドから諸手を挙げて迎え入れられたのだ。
何故かって?僕の記憶では、ジャコと僕はすぐシゲルが気に入った。彼は僕らの仲間だった。僕ら三人の年齢はジョーとウエインのほぼ半分だったのだ。僕らは子供だった。未来だった。見つめることでできる限りすべてのことを学び取ろうとしていた。そしてシゲルは他の誰よりも注意深く見つめていた。
彼のカメラと視線はウエザー・リポートのこの歴史的なツアーの間の大事な瞬間を一つも残さず捉えていた。その後のすべてのウエザー・リポートのツアーでもそうだった。僕らはシゲルを友達として好きだった。彼の写真が大好きだった。だが何より大切なのは、僕らが彼を信頼していたいうこと。彼が音楽を録音するのと同じようにバンドの姿を捉えようとしていたことを、僕らは知っていた。彼がシャッターを切るタイミングは常に完璧だった。僕らのOKをとるために彼が差し出した最初の写真のセレクションを見て、僕らはそれを確信したのだ。ダメな写真は一枚もなかった!ウエザー・リポートを喜ばせるのは容易ではないが、シゲルの写真は必ず僕らをよろこばせてくれた。
シゲル、君の友情と優れた目と確かな手に感謝。- ピーター・アースキン -
ピーターがくれた嬉しい賛辞はまだまだ続きます。駒草出版刊 ジャコ・パストリアス写真集「JACO」の中に 天才ベース・プレイヤーと彼を擁した伝説のバンドの貴重な写真記録と共に掲載されていますので、手に取っていただけたら嬉しいです。