昭和46年11月12日 泣きと脅し
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親元で不自由なく育ち暮らした3人兄弟の長男繁が 東京の写真学校に進むことになって上京したのは二十歳になる年の春だった。花の都で自由を謳歌し 大都会の生活に刺激を感じることは今までにない快感だったけど、しかし希望に燃えていたとはいえ 不慣れな見知らぬ土地での暮らしや不安を誰かに伝えたいと郷里の母や妹弟と文通するようになっていた。葉書7円は ビンボー学生にありがたい通信手段だったな。
新聞記記者だった父は当時瀬戸内の因島(広島県)の支局に単身赴任していたから これは大阪の母妹弟宛てとは別に 僕が父に送った葉書。几帳面な父が受け取り順にきっちり揃えて保管してくれていた手紙葉書の束が見つかった。
半世紀経った今 読み返すと極プライベートな内容は恥ずかしい事実多々であるけれど それもまた人生かな…って反省すべき面白自分史として ここに記録しておこう!
*注 1971年の春に親元から離れて上京した繁くんは 中央線三鷹駅近くに下宿して 中野の写真学校に通う東京生活を始めた。 つづく...
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