Happy Independence Day AMERICA
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家電とかクルマとか製品機械を長年使い続けるのは難しく その代わりモノは短いサイクルで機能性能面で進化する。老いていく人間に進化は期待できないけれど 70年の長きに深刻な故障や大きな破損もなく生きて来れた事を我ながら驚き 神と仏に感謝しかありません。 体力的にも衰えを感じるお年頃になりましたけど 怪我や病気に気をつけながら 少なくともココロは退化しないように あまり大きな期待には応えられないかも知れませんが これからも頑張っていこう!と思う 人生71周目に入ったうちやまです。
早々にお祝いメッセージを沢山いただきました。お一人ひとりにお返しできないご無礼お許しください。 皆さんに心から感謝してお礼を申し上げます、ありがとうございました。
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事務所移転の際に 移動した荷物の中から大量の手紙を発見した。 古い資料が必要になって探していたところ 中身不明の段ボール箱の中に、知人友人からの手紙や父から送金された現金書留の封書と一緒に大量に束ねてあったのは妹からの手紙と葉書。
僕が写真学校に入るため上京した1971年(昭和46年)から10年間ぐらいのものと思われる封筒には15円から50円、ハガキには7円から20円の切手が貼られ 古びた封筒と共に時代を感じさせる。
書かれた文面は 近況や心境や他愛もない内容がほとんどだけど(自分で言うのも照れくさいが)温かい兄妹愛を感じるものだ。しかし、果たして僕はこれらの手紙にどれだけ返信したんだろうか? 今は手紙ハガキでの連絡は皆無で メールやSNSばかりになったけれど、それにさえマメに返信することが少ない僕は 当時の妹に寂しい思いをさせたに違いない。
あの頃から もぉ40年以上の時が流れて お互い歳をとったけど、時々昔の事を思い出したりして いつまでも元気でいよう!
誕生日おめでとう!
時は昭和39年(1964年) 内山 しげる(13歳)妹 くみこ(2歳下)
弟 あきら(5歳下)
新聞記者だった父が単身赴任した福山市(広島県)芦田川の河口に近い小さな町に、大阪在住だった内山ファミリーは夏休みの期間中移住して過ごした。
山も川も海も身近にあって、我々兄弟は海水浴場でのクロンボ大会に3人揃って入賞するほどこんがり焼けながら、心もカラダもすくすくと育ったのだけれど、遊びすぎたせいでアタマはあまり育たんかった。
あれから半世紀・・・
兄は最近ジャズと酒に溺れながらも元気で楽しくやってるよ
健脚自慢の弟は(栄養失調気味に見えるけど)還暦過ぎた今でもフルマラソンを年に何本も走るほどの健康体
そして、自然を愛し動物を愛しむ優しい心の妹は今日が誕生日
いくつになったんだっけ?
って、いつまでたっても2歳下か ^.^; ・・・ オメデト〜〜♪
いつまでも元気で楽しく優しく、この歳の差キープしていかんとな!
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1963(昭和38)年秋
繁12歳・久美子10歳・朗7歳、52年前のウチヤマ兄妹弟
このまま音楽の道を進んだら、それぞれが一体どんなピアニストになったか想像すると面白い。
残念ながら誰も音楽の道を選ばず、写真家に・英語教師に・建築家になった兄妹弟。職業にはしなかったけど、幼少のころ音楽に親しむ環境と機会が与えられたことは大きいと思う。
ぼくはジャズ・シーンを撮るカメラマンになりジャズ・バーのマスターに、妹の家には今もピアノがあって、弟はサックスをいじくり回す、皆音楽愛好家になった。決して裕福でなかったサラリーマン家庭の我が家でこの時代に子ども達全員にピアノを習わせた両親に感謝。
ピアニストになり損なったけど、自然を愛し動物を愛し家族を思いやる妹に、誕生日おめでとう!
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63回目の誕生日を迎えた爺に、朝から100万通を超える心温まるバースデーメッセージをいただきました。
ハタチで上京した小僧が、二十五歳でカメラマン・デビュウ... 五十で会社を興し、還暦過ぎて店を開いたりしてイチビリ続けています。
七十五歳と百歳の節目にも何かアホな事やらかさなきゃいけませんから、まだまだくたばる訳にいきません。
足腰鍛えて、ますますヤンジイ(やんちゃな爺)になるよう精進いたしますので、これからも心の老人ケアをどうぞよろしくお願い致します。
"papa"ケーキは娘から、花束はWhisperママから、トランペットのヒロ川島からはいかした音楽のプレゼントいただきました。Thanxあや、Thanxxヨコミ、Thanxxxヒロ
そして何より、たくさんのお祝いメッセージ(100万通は冗談ですが)ひとり一人にお礼を差し上げるべきところ、ご無礼お許し下さい。ありがとうございました〜♪
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